天下人たちのマネジメント術

最強交渉人・勝海舟の江戸無血開城

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強硬論者・西郷の悩みは資金と海軍

 一方の西郷は、盟友の大久保利通に「慶喜を切腹させる」と意気込む手紙を送るほど、徹底的な断罪を主張する強硬論者だった。「西郷は慶喜の政治力を恐れていた」と家近教授はみる。幕末の薩土同盟や倒幕の密勅は、大政奉還の切り返しで雲散霧消してしまう。王政復古のクーデターで排除しても、いつの間にか慶喜が新政府入りする方向で政局は進んだ。西郷、大久保にとって慶喜は「家康の再来」ともいうべき政治的モンスターだった。

 ただ西郷にも弱点があった。軍資金の不足と海軍だ。「鳥羽・伏見」の直前まで薩摩藩は倒幕反対が大勢で、西郷らは少数派だったという。安藤氏は「薩英戦争や度重なる上京・出兵で藩の財政が破綻寸前だった」と指摘する。その上での戊辰戦争だ。三井、小野、島田ら大商人からの資金調達で何とかしのがなければならなかった。

 海軍問題はさらに深刻だった。「鳥羽・伏見」前に戦われた品川沖の戦いや阿波沖の海戦で幕府海軍は薩摩軍に圧勝していた。慶喜が海路で江戸へ戻ることができたのは江戸・大阪沖を軍事的に実効支配していたからだった。「幕末の海軍」(吉川弘文館)の著者である神谷大介・東海大非常勤講師は「保有軍艦の数、海軍としての組織力、海軍に出仕した武士の能力や経験などから幕府海軍の優位は動かなかった」と分析する。

 もし江戸決戦が実際に行われた場合、神谷講師は幕府海軍の戦略として(1)反新政府の諸藩と海路を通じて連携(2)主力が留守中の薩摩・長州など国元を襲撃(3)箱根を襲撃。東海道を分断し補給路を断って孤立させる――などが考えられたという。西郷にとっては悪夢のシナリオだ。

 西郷にとって悩ましかったのは、ちょうど「倒幕の主力を務めてきた薩摩藩に新政府内から嫉妬と不信が噴出していた時期だった」(家近教授)こともあった。かりに江戸城攻撃が成功しても、さらに功績を重ねた薩摩藩が、幕府に代わる権力奪取の野心を味方から疑われるのは必至だった。

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