ビール「営業王」 社長たちの戦い 4人の奇しき軌跡

サッポロ・尾賀社長「もう帰れ」店主の声で開眼 前野 雅弥

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

相手に合わせて動くのが営業なんだ

 ただ、尾賀も決して楽だったわけではない。とにかく若いから、失敗の連続だった。ある時のことだ。なじみの酒屋の店主から電話が入った。

 「あのさあ。おたくの販促のグッズを持ってきてくれないかなあ」

 「はい。わかりました。もちろんですよ。じゃあ僕、持っていきますね」

 ところが、グッズを持って出向くと、こんな対応だった。「なんだよ。グッズだあ? いいからもう帰れ。邪魔だ!」。尾賀は追い返されてしまった。わけがわからなかった。「販促グッズを持ってこい」と言われたから持っていったのに、「邪魔だ。帰れ」とは......。

 しかし、文句を言うわけにもいかない。ビール営業の世界でお得意様は絶対だ。また出向いて謝るしかない。頭を使う前に足を使おう。その夜、もう一度、出かけてみた。「先ほどはすみませんでした。サッポロビールの尾賀です」。店の入り口で、おそるおそる声をかけてみると、奥から「おう、おまえか、こっち来い」と店主の声がした。

 恐縮しながら奥に進み、「すみませんでした」と謝ると、店主が「とにかく、まあ上がれ」。昼間とは全然違って、声のトーンも柔らかかった。「何だ? どうなっているんだ?」。何が起こっているのか、よくわからなかった。

 座敷に上がると、奥さんが冷えたビールを出してくれた。「一杯いけよ」。店主がすすめてくれる。「いえ、車ですので」と断ると、こう言うのだ。「じゃあ泊まっていけよ。もうこんな時間だ。会社に戻らなくてもいいだろう。今日は風呂にでも入って、明日、ここから会社に行けばいいじゃないか」。尾賀がまだ独身で寮に住んでいるのを、店主は知っていたのかもしれない。なんとも人情味のある時代だった。

 ビールを酌み交わしながら、昼間、店主が怒った理由を教えてくれた。尾賀が販促グッズを持っていくのに時間がかかりすぎていたのだった。店主は電話を切ってからすぐ持ってきてくれると思い、待っていた。ところが、尾賀はそうしなかった。少し時間をおいてから店主のところに行った。だから、店がもっとも忙しい時間とかち合ってしまったのだった。

 「なるほど、そういうことだったのか」。ようやく尾賀は理解した。「自分のサイクルで仕事をするんじゃない。店のサイクルに合わせて自分が動くんだ」。ここから尾賀の営業は変わっていった。

 もともと尾賀は骨惜しみしないタイプだ。体力もあった。武道家、大山倍達が猛牛と対決する姿にあこがれて始めた空手は3段。慶応大学時代にも空手で体を鍛えた。現場向き、営業向きの人間だった。

何でもお手伝いしますよ

 1980年代後半、後に大ヒット商品となるアサヒビールの「スーパードライ」が産声を上げようとしていた。尾賀社長は東京支社販売4課で営業担当としてどぶ板を踏む毎日を送る。

 死にもの狂いだった。雨の日も風の日も酒屋を回り続けた。どの店がどの酒屋から、どんなお酒を仕入れているのか。いつからサッポロと付き合いがあるのか。家族構成はどうなっていて、今年の運動会で子供は駆けっこで何等賞だったか。すべて頭に入っていた。

 お店を何軒も回っているうち、尾賀は面白い法則に気づいた。「繁盛している酒屋は奥さんがしっかりしている」ということだ。旦那さんは昼間、配達に行く。お店にはほとんどいない。お店を切り盛りするのは奥さんだ。問屋への支払い、経費の管理など、お金まわりは奥さんの受け持ちになる。

 だから奥さんに気に入られれば、だいたいうまくいく。自動販売機にショーケース......。懸命に売り込んだ。その代わり、どんなことでも相手の役に立とうと、声をかけた。「奥さん、お困りのことありませんか。何でもお手伝いしますよ」

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。