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ケース29:訴訟のコスパ やられたらやり返すな! 弁護士・ニューヨーク州弁護士 畑中 鉄丸 氏

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前提としての体験事実の言語化・文書化

 なお、「客観的なものとして言語化された体験事実を、さらに整理体系化し、文書化された資料が整えることが、裁判制度を利用するにあたって、絶対的に必要な前提」ということについてですが、事実経緯を、記憶喚起・復元・再現し、これを言語化し、記録化し、文書化する、となると、どえらい時間とエネルギーが必要になります。

 例えば、皆さんは、5日前の昼飯のこととかって覚えています? 誰と、どこで、どのメニューを注文し、どの順番で、どんな話をしながら食べたか? 食後のデザートに何を選んだか? 飲んだのはコーヒーか紅茶か、レモンかミルクかストレートか、おかわりをしたか? おごったか、おごられたか、割り勘にしたか、傾斜配分にしたか? 勘定はいくらだったか? とか、覚えていますか?

 私は、別に認知機能に問題なく、東大に現役合格する程度の暗記能力・記憶力は備えているものの、自慢ではないですが、「5日前の昼飯のこととか、そんなのいちいち覚えてるわけないやろ!」と胸を張って言えます。

 といいますか、仕事の関係で、食事は不規則であり、忙しくて昼飯をすっ飛ばしたり、朝食ミーティングがあれば、夜まで食べないこともあるので、昼飯を食べたかどうかすら、いちいち覚えていません(何度も言いますが、認知機能に問題があるわけではなく、あまりにどうでもいいというか、くだらないことなので、覚えていないのです)。

 もちろん、「がんばって5日前の昼飯のこと、思い出せ」と言われれば、思い出せないこともありません。それなりに、認知機能もありますし、記憶力や暗記力も平均以上だと思いますので。

 スケジュールを確認し、前後の予定や行動履歴を、メールや通話記録をみながら、記憶の中で復元していき、手元の領収書や店への問い合わせや店が保管している記録を前提に、一定の時間と労力を投入すれば、状況を相当程度再現していくことは可能であり、さらに時間と労力を投入すれば、これを記録として文書化することもできなくはありません。とはいえ、それをするなら、投入する時間や労力をはるかに上回るメリットがないと、こんなくだらないことに0.5秒たりとも関わりたくありません。

 もともと、人間のメンタリティとして、「過ぎたことは今更変えられないし、どうでもいい。未来のことはあれこれ悩んでも仕方ないし、考えるだけ鬱陶しい。今、この瞬間のことだけ、楽しく考えて、生きていたい」という志向がある以上、「過ぎ去ったことを調べたり考えたり、さらには、内容を文書化したりする、なんてこと、あまりやりたくない」という考えは実に健全と言えます。

 すなわち、「がんばって5日前の昼飯のこと、思い出せ。思い出して、文書化できたら30万円あげる」と言われたら、ヒマでやることないし、あるいは期限や他の予定との兼ね合いをみながら、少し小遣いに困っているなら、その話を受けるかも、という感覚です。

 このような言い方をすると、「でもそれって弁護士さんがやってくれるんじゃないの?」というツッコミが入りそうですが、それは弁護士と当事者の役割分担の誤解です。

 弁護士は、事件の当事者ではなく、事件に携わったわけでも体験したわけでもないので、事件にまつわる経緯を語ることはできません。無論、事件経緯を示す痕跡としてどのようなものがどこにあるか、ということも、直接的かつ具体的に知っているわけではありません。

 弁護士は、そのあたりのストーリーを適当に創作したりでっち上げたりすることはできません。たまに、依頼者から「思い出したりするの面倒なんで、先生、その辺のところ、適当に書いといて」という懇請に負けて、弁護士が適当な話を作って裁判所に提出してしまうような事例もたまにあるように聞きます。しかし、こんないい加減なことをやったところで、結局、裁判の進行の過程で、相手方や裁判所からの厳しいツッコミを誘発し、ストーリーが矛盾したり破綻したりしていることが明確な痕跡(証拠)をもって指摘され、サンドバッグ状態になり、裁判続行が不能に陥りかねません(「証人尋問すらされることなく、主張整理段階で、結審して、敗訴」というお粗末な結論に至る裁判はたいていそのような背景がある、と推察されます)。

 弁護士は、「記憶喚起・復元・再現し、これを言語化し、記録化し、ある程度文書化された依頼者の、事件にまつわる全体験事実」(ファクトレポート)から、依頼者が求める権利や法的立場を基礎づけるストーリー(メインの事実)ないしエピソード(副次的・背景的事情)を抽出し、こちらの手元にある痕跡(証拠)や相手方が手元に有すると推測される痕跡(証拠)を想定しながら、破綻のない形で、裁判所に提出し、より有利なリングを設営して、試合を有利に運べるお膳立てをすることが主たる役割として担います。

 いずれにせよ、真剣かつ誠実に裁判を遂行しようとすると、「弁護士費用や裁判所利用料としての印紙代という外部化客観化されたコスト」以外に、気の遠くなるような資源を動員して、クライアントサイドにおいて、「事実経緯を、記憶喚起・復元・再現し、これを言語化し、記録化し、文書化する」という作業を貫徹することが要求されます。

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