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ケース19:あな恐ろしや、ブラックの烙印押されかねない労働審判 弁護士・ニューヨーク州弁護士 畑中 鉄丸 氏

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労働審判とフツーの裁判の違い

 労働裁判、すなわち「労使間の法的モメ事」は、規制緩和のはるか昔から、「とにかく時間がかかるし、手間がかかるし、面倒で、どうしょうもないほど厄介なもの」ということが、経験上の事実として知られていました。すなわち、労働裁判は、裁判所という「解決プロセスを提供する公共インフラ」を相当割合において占拠し、インフラの機能を低下させる事件分野、と認識されていたのです。

 解雇にしろ、残業代にしろ、配置転換にしろ、減給にしろ、降格にしろ、パワハラにしろ、セクハラにしろ、労災にしろ、メンヘル問題にしろ、まあ、長い、長い、長ーーーーい期間にわたる、労使のやりとりがテーマになります。「言った言わない、それは、事実と違う、話が違う、意味が違う、趣旨が違う、解釈が違う」とまあ、聞いている裁判官をうんざりさせるくらい、長い期間にわたる壮大なストーリーの真否や意味や解釈が戦わされます。

 無論、以前のように「のどかで牧歌的な空間のまま、ゆったりとした時間が流れている状態」で差し支えなければ、笑ってニコニコ聞いていればいいのですが、前述の通り、「モメ事が何でも裁判所に持ち込まれ、大量の事件をそれなりの迅速性をもってさばいていかないと、裁判所が無能呼ばわりされ、エライ非難される、大変な状況」がそこまで差し迫っていれば、そんな悠長なことを言っている場合ではありません。

 もちろん、最も端的な対応策とすれば、当事者同士のズレまくっている認識の相違を聞き流し、双方のストーリーの合理性や客観性と当該ストーリーの痕跡の有無や質を見比べ、「(裁判官としての経験とスキルに基づく)犀利(さいり)な知性と明敏な洞察力と豊かな想像力」をもって「君たちが、長々と、グダグダと、口角泡を飛ばしながら言い争っている、スベったの、転んだの、と議論している話って、身も蓋もなくしちゃえば、要するに、この程度のことなんでしょ」と一刀両断に切って捨ててしまうことです。

 「(中立で客観的な第三者の目線から見ると)どのみち、くだらないエゴやこけんのぶつかり合いなので、確かにその通りといえば、その通り」とも言える、くだらない言い争いもないとはいえない、という事件も確かに少なくありません。

 他方で、こんな「効率化」を「裁判手続きの一環」として導入してしまうと、それはそれで別の問題が出てきます。「日本の司法は、あまりに強引で暴力的で横暴で、近代裁判の否定だ! こんなの中世の魔女狩り裁判と同じだ! 司法ファッショだ!」という怨嗟(えんさ)の声が挙がって、裁判所がやり玉に挙げられ、窮屈な思いをすることなりかねません。

 そこで、「妥協の産物」として、裁判官以外に、「民間の有識者」も混在させて「裁判官」主導の独裁色を中和させつつ、他方で、「民間の有識者」に暴走させることなく「審判官」という立場で参加する裁判官が裏でしっかりと手綱を握って、「裁判」ではなく、「審判」という、ある意味、司法作用とは「ちょいと違うし、まあ、モノホンのガチンコ裁判ではなく、後から本格的裁判で争うことも可能な、テストマッチというか、前座というか、亜流の裁判モドキ。だから、裁判とは違う、ちょいと雑で、スピーディーで、独裁チックなことやってもいいよね?」みたいな風体で導入されたのが、この「労働審判」というわけです。

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