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ケース19:あな恐ろしや、ブラックの烙印押されかねない労働審判 弁護士・ニューヨーク州弁護士 畑中 鉄丸 氏

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顧問弁護士 畑中鉄丸の助言

 皆さんは、「労働審判」というものをご存じでしょうか?「"裁"判」ではなく、「"審"判」です。労働審判は、司法改革の一貫として、2004年から導入が始まった制度で、「労働審判官(裁判官)と労働審判員(民間人)とで構成される労働審判委員会が、労働者と使用者との間の民事紛争に関する解決案をあっせんして、当該紛争の解決を図る手続き」と説明されています。

 無論、手続きが行われる場所は裁判所で、裁判官も「審判官」という肩書で参加します。送られてくる書類やそのほかすべてのイメージが裁判とほぼ同じです。というか、手続きをしてみると、裁判官がかなりの発言権を持っており、「民間の労働審判員がいるっつっても、この連中、お飾りじゃねえの?」ってくらい、裁判官仕切りで進められます。

 これって、裁判と同じじゃない?「審判」と「裁判」と一字違いで、そんなに違うの? って思うくらい、似てます。でも、かんなり、違うんです。この違いを説明するに当たり、前提として、この制度が導入された背景を説明しておきたいと思います。以下、私なりに理解しているこの「労働審判」導入に至る経緯や背景を説明します(いつものように、「一般人を煙に巻くためか、高尚かつ難解な言葉で書かれたキレイゴトを言葉通り、文字通り、真に受けるような、ある意味、混乱した状態での理解ないし認識」を忌避し、「下劣で不愉快な現実があれば、エゲツナサがそのままダイレクトかつリアルに伝わるような情況説明」になっている可能性が高いですが、この点はご容赦ください)。

"裁判所"街道の渋滞回避策が労働審判制度

 その昔、裁判、特に民事裁判というものは、平安時代の宮中絵巻のように、牧歌的に、ゆったりと、呆れるくらいチンタラと進められていました。民事裁判って、当事者にとっては大問題ですが、お上(裁判官)からみると、「民間人同士のくだらないエゴの突っ張り合い」であり、「正義がどうとか、真実がどうとか、日本社会のあり方がどう」とかっていう類の話ではない。

 判決を書く前提で一生懸命記録を整理したり話を聞いたり背景を理解しようと努めていても、当の本人たちが、訴訟が面倒になって、お互い、「裁判なんて、時間と弁護士費用とエネルギーの壮大な浪費である」という真実に気づき、これらを合理的に節約することの方が互いの身のためになることを理解し、勝手に和解して終わってしまう。

 そんなこともあり、裁判所もなかなか本気になれないし、時間が解決するということもあり、裁判所は「時間に追われない、なんとも言えない平和で温和な空気が支配する空間」となっていました。

 しかし、そんな平和で寝ぼけた世界にも終焉が訪れます。グローバル化と競争社会の到来によって、「行政が行う過剰な後見的保護をやめよ」という規制緩和論が叫ばれるようになり、「民間のことは民間に任せ、民間同士のトラブルやいざこざは行政のお節介によってではなく、全部、裁判所に行って、そこでシロクロつけろ」ということが国是となりました。

 困ったのは裁判所です。裁判所という「紛争解決のための国家インフラ」を「道路」になぞらえて状況を整理してみます。

 今まで、「"裁判所"街道」は、老人とか子どもとか牛とか耕運機とかしか通らない、ゆるーい感じの、「ひなびた田舎のあぜ道に毛の生えたのような道路」でした。そこに、突如として、大量の車やバイクやトラックやダンプカーとかが押し寄せることになりました。まもなく、大量の自動車が押し寄せます。大渋滞になって、ブーブークラクションが鳴らされる、場合によっては事故が起こったり、トラブルになり、暴動に至る可能性もある、ということになるわけですから、道路を管理する裁判所としては大変です。

 このように規制緩和社会の到来と同時に確実に訪れる「訴訟社会」、まあ、言ってみれば「モメ事が何でも裁判所に持ち込まれ、大量の事件をそれなりの迅速性をもってさばいて行かないと、裁判所が無能呼ばわりされ、エライ非難される、大変な状況」を見越した裁判所は、民事訴訟法改正やそのほかのさまざまな訴訟運営効率化施策を打つのと同時に、特に「渋滞」が予測される重点箇所に新たなシステムを導入します。このような「渋滞回避策」とも言えるシステムの1つが「労働審判制度」というわけです。

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