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ケース7:裁判所からみれば、企業間紛争も「犬も食わない、しょうもない夫婦げんか」と同じ?! 弁護士・ニューヨーク州弁護士 畑中 鉄丸(はたなか てつまる) 氏

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 また、「証拠」についても、一般の当事者や弁護士において大きな誤解があるようです。「証拠」は、客観的で物理的な根拠もなしに適当に判断をされていては裁判官ごとの揺らぎが大きすぎるため、また、かつての魔女裁判と一線を画して裁判の客観性を保つため、必要とされています。

 その「証拠」ですが、端的に言って、契約にまつわる民事裁判において、裁判所が「まともな証拠」として扱うのは「書面」のみです。

 書面に記載されている事実関係は、「当時その記載どおりの事実があったのだろう」という認定がなされますが、その半面、書面がない事実を認定するためには、さまざまな状況証拠(間接事実であったり、補助事実であったり)を総合して認定するしかありません。

 決定的な証拠がない争点に関し、間接事実や補助事実を総合して、一方当事者のストーリーが「合理的で、確実に存在する」といえるかどうかについては、当然ながら厳しく判断されることになります。逆に言えば、このような「決定的な証拠がない、曖昧な事実」の立証を行うには極めて大きなハードルが存在する、といえます。

 結局、「契約があっても契約"書"がない、というストーリー」や「記憶があっても記録がない、というストーリー」については、裁判所においては、「寝言」「妄想」(もしくは、より端的に言えば「ウソ」)として片付けられる、というのが訴訟の現実です。

 「証拠なき主張」といったタイプのストーリーを裁判で言うのは自由ですが、この種のストーリーを声高に叫べば叫ぶほど、「そんなに重要なんだったら、なんで書面化しておかなかったんだ?」という疑念をより強く裁判所に抱かせる結果を招くだけです。

 すなわち、証拠なき主張を理屈や推論や経験則や常識(裁判では、「(裁判官以外の一般市民の持つ)常識」とは「優秀でない方々のもっている偏見の集積」とみられています)によってギャーギャー騒げば騒ぐほど、裁判所のへきえき度は増し、「本来であれば作成されておかれるべき書面がない」ことに対する疑念は増大していきます。

 つまり、「証拠なき主張」はそれ自体が嘘として取り扱われるだけでなく、かえって、「作成されないということに対する合理的な理由があるわけでもないし、むしろ、そんな合意はなかったのだろう」と不利に作用することさえあるのです。

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