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ケース7:裁判所からみれば、企業間紛争も「犬も食わない、しょうもない夫婦げんか」と同じ?! 弁護士・ニューヨーク州弁護士 畑中 鉄丸(はたなか てつまる) 氏

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裁判で問われるのは「事実」と「証拠」であり、「意見」ではない

 裁判は、事実と証拠に基づいて行われます。昔は、宗教教義とか、その場のノリとかで行われていましたが、これをされると社会が不安定になり、予測可能性を奪い、経済発展の阻害要因になるので、近代の幕開けとともに、この種の裁判は消滅しました。

 事実と証拠によって粛々と運営される裁判においては、当事者の責任と役割は、事実と証拠を提示することに尽きます。そして、裁判所は、当事者から提出された事実と証拠に基づいて、中立的かつ独立的な観点から(言い方を変えれば、身も蓋もなく淡白で冷厳な)解釈を加えて、一定の結論を出す、ということになります。

 この点、一般の方々や、裁判経験の少ない弁護士さんの中には、「裁判は、法解釈論を展開し、新たな、解釈上の境地を切り開くことなり!」という大言壮語に及ぶ、ある意味「威勢のいい」方もおりますが、法解釈が全面的に論争になるような特殊な事件を除き、事実関係さえわかれば(あるいは、「立証責任を負担する側において、事実を立証する証拠がなく、真偽不明である、という『どんくさい状況』に陥っていること」さえわかれば)、裁判所は、それ以上、当事者・弁護士から「提出された事実や証拠の評価や法解釈について、意見や説明など聞く必要なし。それはこっちで適当に考えるので、口出すな」、と考えています。

 このような当事者・弁護士と裁判所の役割は、患者と医者の関係とパラレルに考えらえます。

 発熱した患者が、医者のところにきて、いきなり「私はエボラ出血熱にかかっているんだ。早く薬をよこせ」と騒いでも、医者としては、「あんたに病名は聞いてねえよ。早く、病状と病状発生までの経緯を、教えてくれよ。病名とどの薬が有効かはこっちで決めるんで」と冷たくあしらわれるだけです。

 当事者ないし弁護士の仕事は、事件の経緯をまず客観的事実の側面からドライかつ緻密に整理した上で、事実を示す根拠となる資料に関して、「『証拠の不備をあげつらって、知らぬ存ぜぬと厳しく非難する相手方』ですら、否定しようのない、動かぬ証拠」が存在するかしないか、を検証することから始めるべきことになります。

 弁護士の中には、この種の「地味で堅実な作業」を面倒くさがり、推理と理論だけで華々しいストーリーを構築し、延々と主張して、仕事をした気になっている方もいらっしゃるようです。事実や根拠を無視して一方的な主義主張を叫んだり、証拠もなしに理屈を説明したりすることは、それこそ、高校生にだってできますし、裁判所はその種の安っぽいストーリーテリングにウンザリしています。

 具体的・客観的な事実経過を調べ上げて克明に表現したり、「当該事実に関し、自分と立場を異にする相手でも、納得せざるを得ない証拠」を集めたりする過程は、地味で労力のかかるものです。

 これを忌避して、その「空白」を、「『常識』という名の『偏見のコレクション』」や、自身の矮小(わいしょう)な経験や、ちゃちな知性や、独善的で強引な推論でつなぎ合わせ、あるいは華麗な修飾語や枕詞を並べ立てて、お茶を濁すタイプの弁護士や当事者もいらっしゃいますが、この種の「関係者をけむにまくだけの、とりとめのない話」でごまかそうとしても、裁判官の冷めた対応を招くだけです。

 裁判に時間がかかるのは、裁判が高度で知的な内容だからではありません。当事者・弁護士が「客観的事実を、確実な証拠と地味な努力によって、克明に説明しようとすること」を忌避して仰々しい主義主張をわめきたてたり、あるいは、ロクな証拠もなく、推論だけで話を創ろうとしたりして、前に進まないからです。このような現実に対し、裁判所は相当苦々しく考えているようです。

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