経済史から考える

アベノミクスより厳格 高橋財政の規律 東京大学大学院経済学研究科教授 岡崎 哲二氏

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 平成・アベノミクスより厳格にみえる昭和・高橋財政の規律順守。国際公約であった2020年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス)黒字化目標をあっさり断念した現政権と対象的に、戦前の昭和金融恐慌を乗り切った高橋是清大蔵大臣は財政健全化の手綱を緩めなかった。歳出膨張圧力に屈しない財政の原型は日露戦争を経た明治期にあった。

不況脱却後に歳出削減 日銀は公債売却

 2012年末に行われた総選挙に先だって、自由民主党の安倍晋三総裁が、金融政策の手段として建設国債の日銀引き受け発行を提起し、大きな話題となった。これは、財政法の均衡財政主義が実質的に崩れていく中で、唯一これまで遵守されてきた国債日銀引き受け禁止の原則に触れるものだったことによる。

 国債の日銀引き受け発行の事例を求めるには、戦前にさかのぼる必要がある。1930年代前半に大蔵大臣・高橋是清が実行した、いわゆる「高橋財政」である。第1章で述べたように、大恐慌の最中の31年末に大蔵大臣に就任した高橋は、金輸出再禁止、財政支出拡大、金融緩和の三つの柱からなる経済政策を実行した。財政について見ると、32年度一般会計歳出額は前年度の14億8000万円から一挙に19億5000万円に拡大され、その財源のうち7億8200万円が公債発行に求められた。そして、その発行方法について、32年8月25日の衆議院本会議での財政演説において高橋は、そのうちの6億700万円について「此金額は今日の状況に於ては一応日本銀行をして之を引受けしむる見込であります」と言明した。実際、同年11月、まず2億円の公債が日銀引き受けで発行され、35年までに約28億円の国債の日銀引き受けが行われた。

 前章で述べたように「高橋財政」は、マクロ経済政策としてよく機能したと評価できる。1932年末までに卸売物価が金解禁前の水準に回復、以後36年までインフレ率は年率5~8%に抑えられ、さらにこの間の経済成長率(GNP成長率)は実質で年平均6.1%に達した。これは、不況脱却後において政府・日銀が行った慎重な政策運営によるところが大きい。高橋は34年度以降、逆に歳出予算を削減し、さらに日銀は引き受けた公債を市場に売却していった。すなわち、財政政策と金融政策の双方が引き締めの方向で運営された。

 このように、国債の日銀引き受けという手法は、経済環境によっては、少なくともある期間、マクロ経済政策の有効な手段となる可能性がある。しかし問題は、財政政策が純粋なマクロ経済政策にとどまり得ない点にある。財政支出は特定の使途に配分され、それぞれの使途が強い利害関係と結びついているからである。

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