経済史から考える

日本政府債務、深刻度は大戦末期並み 東京大学大学院経済学研究科教授 岡崎 哲二氏

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2.26事件きっかけ、公債増発と大戦の道へ

 この流れを変え、再び公債発行の増加にかじを切ったのは、2.26事件後に成立した広田弘毅内閣の蔵相・馬場●(かねへんに英)一であった。馬場は公債漸減方針を明確に放棄した。1932~36年度に8億~9億円だった新規国債発行額は、37年度に一挙に22.6億円に増加した。

 政策転換の背景には馬場自身の財政経済政策に関する持論があった。1935年に東京帝国大学で行った講演で、「私は実は赤字公債をそんなに恐れない。恐れたところで出さねばならぬものは出さねばならぬ」と述べ、公債発行の大きな要因となっていた軍事費について、「私は国防費に対して不生産的経費といふ言葉は使はない」「国旗の翻る所即すなわち我が商権の進出する所、或あるいは民族の進出する所だと考へていけば、寧むしろ生産的だと言った方が宜よろしいぢゃないか」と論じた。公債発行で軍事費を含む財政支出を賄っても、中長期的には市場の拡大を通じて経済成長をもたらし、税の自然増収につながるのだから問題ないという議論である。

 こうした楽観論は、戦争が拡大し、財政支出の増加がさらに著しくなると、政府全体に広がった。1941年、本来、財政規律を守る立場にあるべき大蔵省主計局の谷口恒二局長は、開戦以来累計250億円に達していた公債発行額について「支那事変の解決、大東亜共栄圏の確立された暁に於ける我国力の増進を考へるならば、この程度の公債は我国財政にとって懸念の要のないところである」と述べた。

 戦前・戦中期に生じた1回目の政府債務の累積過程では、今日から見れば根拠に乏しい楽観論が、多額の公債発行を継続することの正当化に一役買った。今日においても、増税や財政支出削減を避けたいという政治的立場から、将来の経済成長や、(マイルドでむしろ望ましい)インフレが政府債務の問題を解決するという、有権者に耳障りがよい主張が提起されがちである。しかし、そのような希望的観測に基づいて財政再建を先送りし続ければ、前回の政府債務累積時の轍を踏むことになりかねない。

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