天下人たちのマネジメント術

毛沢東、30代に受けた6回の「左遷」

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現場主義で勢力拡大、ゲリラ戦術で勝利呼び込む

人民元に印刷された毛主席の肖像。死後41年を経ても影響力は根強い

人民元に印刷された毛主席の肖像。死後41年を経ても影響力は根強い

 東洋学園大学の朱建栄教授は「毛沢東自身が農民の出身で、中国社会のリアルな現場を熟知していた」と指摘する。「秋収蜂起」の前に湖南省の農村をフィールドワークで調査し、中国独自のモデルを模索していたという。毛沢東の「農村から都市を包囲する」という理論は、その後アジアやアフリカ、南米など各地の革命運動に応用された。20世紀後半の世界の動きを示す重要なキ-ワードとして今日に伝わっている。

 毛沢東の現場主義を示すのに紅軍に示した「3大紀律・6大注意」(後に8大に変更)がある。物を盗むな、壊したら弁償しろといったごく素朴な内容だが、軍隊の略奪や殺人、放火が横行していた約100年前の中国では農民の共感を得るのに役だったようだ。より効果的だったのが土地革命だ。地主・富農の土地・財産を没収して貧しい農民に分配した。農民が最も関心があるのは土地問題であることを毛沢東は知り尽くしていた。中国革命は農民革命であり、農民革命は土地革命であるという考えはその後の「毛沢東思想」にも色濃く反映されている。毛沢東は国民党相手にしぶといゲリラ戦を展開し、他の共産党部隊を吸収しつつ支配地域を拡大していった。指導部でも中央委員に復帰した。

 しかし組織拡大が次の左遷につながった。紅軍内の派閥抗争に敗れ、前敵委員会の「書記」を解任された。当時の共産党指導部の調停もあって数カ月で復職を果たし、逆に毛沢東は軍内指導権を掌握した。30年末から31年にかけては国民党からの3度の大規模な掃討戦(掃共戦)にも勝利した。「敵紅軍地域に深く引き入れ、疲れたところを撃退する」ゲリラ戦術が的中した。遊撃戦、持久戦などの戦術を状況に応じて駆使したという。

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