天下人たちのマネジメント術

信長「カリスマ経営者」の死角 検証・本能寺の変(上)

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 今から435年前の 1582年(天正10年)6月2日、天下統一を目前にしていた織田信長は、重臣の明智光秀による突然の謀叛を受け横死した。日本史上最大のナゾのひとつである「本能寺の変」の真相は、21世紀の現在もよく分かっていない。光秀反逆の背景としては、個人的な怨恨説から黒幕説として足利将軍、朝廷勢力、豊臣秀吉、徳川家康、キリスト教イエズス会など10以上の仮説が研究されており、今後も新説が出てくる可能性はある。その一方で、奇襲を受けた信長側にとっての死角は何だったのか。先端経営学の視点や歴史学の最新研究から検証してみた。

あいまいな「天下布武」以後の構想

 全国制覇を間近にしながら、実は統一後の信長の政権構想はよく分かっていない。「信長革命」(角川選書)の藤田達生・三重大教授は、信長が自らを天から統治権力を委託された特別な存在とみていたとし「『預治思想』に基づく東アジア的、革新的な国づくり」を想定している。将軍はもとより、ある意味で天皇すら超える存在だ。一方「織田信長 不器用すぎた天下人」(河出書房新社)の金子拓・東大史料編纂所准教授は、「破壊的な革命者」としての極端な信長像を否定する。正親町天皇を頂点とする朝廷機構の中で統治していたかもしれないとの見方を示す。朝廷側から「三職推任」(関白、太政大臣、将軍。特に将軍)を打診され、あいまいに対応しているうちに6月2日を迎えてしまった。

 経営学者である入山章栄・早稲田大ビジネススクール准教授は「センスメイキング理論」という理論を引き合いに出し、「信長が『天下布武』以後のビジョンを光秀らと共有していなかったのは重大なミスだったのかもしれない」と指摘する。同理論は、経営トップに重要なのは、20年後、30年後の社会・組織のあり方を打ち出し、幹部らとそのビジョンを共有することの重要性を示唆する。不確実性の高い経営環境では、ビジョンを部下や他のステークホルダーと共有し、彼らがそのビジョンに「腹落ち」していることが何より重要という。

 「欧州のグローバル企業であるユニリーバのポール・ポールマン最高経営責任者(CEO)や米ゼネラル・エレクトロニックのジェフ・イメルトCEOらは幹部研修などを通じて、部下とのビジョン共有を徹底している」(入山准教授)。現代の経営者の使命のひとつは、将来ビジョンを確立させ、部下と共有することだという。それまで「天下布武」「天下静謐(せいひつ)」と明確な目標を掲げ、光秀らビジョンを共有できる人材を実力主義で途中採用してきた信長だったが、最後になって落とし穴にはまったのかもしれない。

幹部入れ替え策の盲点

 信長の人事政策に関しても研究が進んでいる。転換期となったのは本能寺の2年前、最大の家臣団を擁していた佐久間信盛の追放だ。「織田信長の家臣団」(中公新書)の著者、和田裕弘氏は「柴田勝家や秀吉ら織田家の軍団長クラスに強い危機感を与えた」と分析する。信盛は信長の幼少期から仕え、1番の強敵だった石山本願寺の担当司令官。その本願寺を屈服させた直後に「働きが悪い」などといった難癖に近い理由での理不尽なリストラだった。信盛以外の重臣追放も相次いだ。

 勝家は信長と姻戚関係を結ぼうとし、秀吉は信長側近への人脈作りにさらに力を注ぐようになったという。自らの地位を保つために、織田家中で手厚い人間関係を築くことが必要不可欠と考えたからだ。

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