辛子レンコン、熊本の酒の友 細川藩秘伝の健康食

 日本経済新聞 夕刊

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 熊本の名物料理といえば、全国的に「馬刺し、辛子レンコン、だご汁」の3つが有名だ。熊本市最大の繁華街「下通」には郷土料理店や居酒屋で「熊本名物セット」「熊本郷土料理コース」などと銘打って天草地方の鮮魚と一緒にこの3料理が並ぶケースが多い。

 熊本城を建てた戦国武将の加藤清正も馬肉を食べたといい、熊本の馬食は400年以上の歴史があるが、馬刺しは戦後になって本格的な外食料理として登場したものだ。全国でブームになったのも牛肉ユッケ食中毒事件などの流れで2012年以降に専門店も増えた。3料理で最も伝統があり、格式があるのは実は辛子レンコン。その歴史は江戸時代の寛永年間(1624~45年)に遡る。

 栄養士で料理研究家(熊本県立大非常勤講師)の戸次元子さん(70)を訪ねた。「江戸時代の熊本城にはレンコンが自生していた。庶民の間では食べる習慣はなかったが、病弱だった肥後の初代藩主、細川忠利公は健康食として食べていた」。熊本市の依頼で熊本城主だった細川藩の大名料理を当時のレシピを基に再現する戸次さんは話す。

 早速、細川忠利公に辛子レンコンを最初に献上したとされる老舗の「森からし蓮根」副社長、森久一郎さん(48)にその歴史や製法を聞いた。同社本店は熊本城から路面電車(市電)で20分程度。「この場所も江戸時代は熊本城内だったのですよ」。森副社長はこう切り出した。

 辛子レンコンの誕生は寛永9年(1632年)。病弱だった忠利公を心配した当時の秘書役だった禅僧の玄海和尚が漢方では「増血剤」として効力のあるレンコン食を進言した。藩の賄い役(料理人)だった森家先祖の平五郎(当時24歳)は熊本名産だった麦味噌の中に和辛子の粉を混ぜてレンコンの穴に詰め、卵の黄身などで揚げて献上した。これが熊本名物「辛子レンコン」の始まりだ。

 森副社長は「江戸時代は天ぷらなど揚げ物は将軍や大名しか食べられない高級料理。辛子には発汗作用がある。麦味噌と混ぜて味をマイルドにしたのでは」と説明する。

 「殿様の忠利公はそれ以来、健康・剛健になられ、大層喜ばれた」(森副社長)といい、平五郎は褒美に武士待遇の「森」の名字と帯刀を許された。「平五郎がレシピを作った辛子レンコンは明治初期まで細川藩秘伝の栄養食として門外不出の扱いになった」(戸次さん)という。

 庶民が辛子レンコンを自由に食べられるようになったのは明治維新後だ。創業1632年の森からし蓮根は今も江戸時代と同じ場所に残る熊本市中央区新町で営業を始めた。当時は量り売りで大釜で揚げていた。

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