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加賀屋 笑顔で気働き

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「お叱りこそ財産」、悔し涙が生んだ新館

加賀屋女将 小田真弓氏

 「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で35年連続日本一を続ける石川県の老舗旅館・加賀屋。年間30万人が訪れる人気の秘訣はどこにあるのでしょうか。世界に誇るサービスはいかにして生まれたのでしょう。「いいえ」は言わない、マニュアルより笑顔で気働き――。「おもてなし」の真髄を育んできた女将の小田真弓氏が、自身の半生とともに振り返ります。

悔し涙、主人の背中押す

 1975年(昭和50年)前後のある日のことでした。男性のお客様数人をお迎えして、お部屋へ挨拶にうかがいました。

 何かあやしい雰囲気だと思いながら挨拶をしていると、突然、お客様の1人から、料理のお椀のふたを投げつけられました。「なんだ、この旅館は。どうなってるんだ」とすごい剣幕です。

 「部屋も古いし、お風呂も古い。料理の茶わんも欠けている。せっかく高いお金を払って泊まっているのに、こんなありさまとは。もう2度と来ないぞ」とおっしゃるのです。

 当時は、加賀屋の評価も少しずつ上がって、遠方から足を運んでくださるお客様も増えていました。その方も加賀屋の評判を聞いて、どんな旅館なのか期待をして泊まりに来たのでしょう。でも、その期待を大きく裏切ってしまったのです。

 私は思わず、泣いてしまいました。ふたは体には当たりませんでしたが、お客様の激しい言葉や立ち居振る舞いに、恐怖を感じたのも事実です。しかし、それ以上に、加賀屋の現状が情けなくなったのです。

 設備の老朽化は、私自身が日々客室をまわりながら、感じていました。畳や柱を見ると、設備が古いことは一目瞭然でした。

 1960年代のような高度経済成長は一段落しています。旅館に泊まるお客様の中にも、ただ食べて飲むだけでなく、ゆったりとくつろいだ時間を過ごしたいという人が増えていました。石川県内の有名な旅館でも、館を新しくして、設備を充実させてお客様を呼び込んでいたところがありました。

 一方、加賀屋は、その10年ほど前に「能登客殿(きゃくでん)」、5年前に「能登本陣(ほんじん)」という、2つの新館を設けていました。しかし、まだ本館には古い建物も残っていて、営業を続けています。お客様にしてみれば、新しい建物とのギャップも、腹立たしく思えたのかもしれません。

 私は、どちらかというと、物事に動じる方ではないですし、プライベートも含めてめったに泣くことはありません。しかし、このときばかりは、お客様の前で泣かずにはいられませんでした。客室を出た後も、しばらく泣き続けていました。まぎれもない、悔し涙でした。

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