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西郷隆盛 弱点はストレス・人事下手

西郷自身の戦法を逆用された西南戦争

 西南戦争は日本史上の最後の内戦だ。「西郷は幕府を倒した成功体験から抜け出せず、情勢を楽観視していた」と安藤氏は言う。作戦は部下に任せ、途中では趣味のウサギ狩りも楽しんだという。対して新政府側の大久保は、すぐ西郷の「陸軍大将」を剝奪し逆賊として征討軍を派遣した。西郷は困惑しただろう。鳥羽・伏見の戦いで、薩摩軍が錦の御旗をいち早く掲げ、徳川慶喜を賊軍に貶(おとし)め、戦意を喪失させたのと同じ手法だからだ。「大久保は西郷の戦略をそのまま逆用して勝利した」(安藤氏)

 その大久保も西南戦争の1年後に暗殺されたが、以前から出身藩を超えて長州閥の伊藤博文を指名していた。西郷は具体的な後継者名は口にしなかったようだ。伊藤や大隈、山県らと肩を並べて、明治政府をリードできた「ポスト西郷」の人材はいたのだろうか。安藤氏は西南戦争で戦死した村田新八を挙げる。薩長同盟、戊辰戦争、江戸城無血開城などに常に西郷側近として立ち会い、明治政府では西郷の宮中改革を助けた。「村田は岩倉使節団の一員で欧米を視察しており、(生きていれば)大きな財産になっていたはずだ」(安藤氏)。西郷に殉じた数少ない洋行組だった。

 家近教授は村田新八ともう1人、大警視だった川路利良を挙げる。西郷に抜てきされながら、鹿児島へ警部らを送って西南戦争のきっかけを作ったとされる人物だ。しかし「剛毅(ごうき)な性格だが日ごろは穏やかで部下を手厚く処遇した」と家近教授は指摘する。川路にも洋行体験があった。「早世したが十分に西郷に代わりうる資質の持ち主だった」と家近教授。

 久光のある側近は、晩年の西郷を「若者と交際し、異論を持つ者とは付き合わなかった」と証言した。特に同年配で遠慮無く交際しえた薩摩藩士が少なかったという。カリスマ性を持つトップほど、直言できる人間が周囲に欠かせない。西郷のケースは、そのことを140年後の我々に示しているかもしれない。

(松本治人)

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