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西郷隆盛 弱点はストレス・人事下手

征韓論の直前は極度の体調不良に

今も残る西郷のさまざまなナゾに取り組んだ「西郷隆盛 維新150年目の真実」(NHK出版) 今も残る西郷のさまざまなナゾに取り組んだ「西郷隆盛 維新150年目の真実」(NHK出版)

 しかし73年(明治6年)、新規事業を争うように企画し予算の大幅増額を要求する各省と、これを認めない大蔵省との間が紛糾し、抜き差しならない政争に発展した。

 久光からの糾弾と政府部内の混乱に苦しめられ西郷の心身は疲労していったようだ。天皇から侍医を派遣され、肥満のため血行が悪化していると診断されたのはこの時期だ。減量のため食事療法と下剤服用を始めたが、かえって激しい下痢を発症した。西郷は辞意をもらし、帰国したばかりの大久保は勝海舟まで動員して翻意の説得に当たったほどだった。

 西郷がその直後から征韓論にのめり込んでいった理由を、安藤優一郎氏は「政府トップの重圧から逃れたいという気持ちと、死すら意識せざるを得ない極度の体調不良とで〝最後の仕事〟という気持ちが募った」と推測する。自ら特使として李氏朝鮮と談判しようという征韓論は、大久保らの絶対反対に遭い挫折した。安藤氏は「首都の近衛兵を動員すれば征韓論は成立した可能性が高かった」とする。一種のクーデターだ。西郷は幕末に王政復古のクーデターでしゃにむに倒幕へ突き進んだ経験があった。しかし昔日の迫力はなかった。

 西郷の辞任・帰郷に伴い多くの陸軍、警察幹部も辞職したが、実弟の西郷従道、いとこの大山巌は残留した。両者の差を「海外での洋行体験の有無だった」と安藤氏は分析している。当時の欧米で最新の文物に触れてきただけではない、それまでの世界観や人生観を一変させるほどの衝撃だったという。安藤氏は「征韓論の下野後に西郷を洋行させようという計画もあったようだ」としている。「実現していればその後の歴史は随分変わっただろう」(安藤氏)

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