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西郷隆盛 弱点はストレス・人事下手

 明治維新の元勲、西郷隆盛(1828~77)は新政府が成立すると徐々に輝きを失っていく。参議、陸軍大将、同元帥、近衛都督など政権中枢を歴任したものの、10年後の西南戦争(77年、明治10年)で「賊軍」として敗死せざるを得なかった。明治期の西郷について研究が進んでいる。新時代を切り開いた最大の功労者は何につまづいたのか。その致命傷となった弱点を解き明かすことは、現代の企業トップにとってもヒントとなりそうだ。

旧主・島津久光からの憎悪になやまされる

家近良樹・大阪経済大客員教授は「西郷はストレスに悩まされていた」と分析 家近良樹・大阪経済大客員教授は「西郷はストレスに悩まされていた」と分析

 「明治期の西郷は常にストレスに悩まされていた」――。家近教授は、著書の「西郷隆盛」(ミネルヴァ書房)、「西郷隆盛 維新150年目の真実」(NHK出版)の中で、心理的なストレスからくる遠島処分された島での風土病に加え、高脂血書や胸の痛みが西郷を苦しめた。

 ストレスの一番の原因は、薩摩藩の事実上の藩主だった島津久光との不仲だ。明治期に入ると、西郷の威信は事実上久光をしのいだ。いわば前社長と現社長との感情的な対立だ。久光は幕府が瓦解した後も近代的な中央集権国家ではなく、武士の世の存続を望んでいたという。「西郷(せご)どんの真実」(日本経済新聞出版社)、「『絶体絶命』の明治維新」(PHP研究)を著した安藤優一郎氏は「久光は明治政府の開化、西洋化政策がことごとく気に入らなかった」と指摘する。

 西郷は1869年(明治2年)に薩摩藩の「参政」として藩政改革を、71年(同4年)には明治政府で木戸孝允と共同トップの参議として廃藩置県を断行した。いずれも久光の怒りを買う政策だった。もともと久光には、自分が倒幕までは考えていなかったのに、西郷が勝手に藩兵を率いて倒してしまったとの思いもあった。久光にとって、西郷は旧主に対する不忠者だった。たびたび西郷を糾弾して明治政府に罷免を求め、西郷本人にも謝罪文を提出させた。武士の誇りを終生持ち続けた西郷にはつらかっただろう。

 安藤氏は「西郷はひたすら久光の憎悪に耐え忍ぶしかなかった」と指摘する。同じように久光に憎まれながら、平然と無視できた大久保利通とは違った。「西郷は理屈では近代化の必要性を痛感しながら、心情的には主従関係を大切にする封建制の精神を愛していた」(家近教授)。西郷は大久保に「理解を得られるか、たおれるか、毎日死を覚悟しながら出勤している」との手紙を送ったという。

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