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明治「富岡モデル」 再生のヒント

東京大学大学院経済学研究科教授 岡崎 哲二氏

 デジタルトランスフォーメーションの波があらゆる産業に押し寄せている。自動車メーカーは人工知能(AI)を使いこなす企業へ。銀行はフィンテックを高度化し新たなサービスを創出する。こうした「オールド・エコノミー」のイノベーションは100年以上前の明治時代に前例がある。2000年の歴史を持つ日本の生糸づくりを近代工業に生まれ変わらせた「富岡モデル」だ。

原料100%国産、生糸は貿易の優等生

生糸は1930年代まで、ほぼ一貫して日本の輸出総額の20〜30%を占め続けた(群馬県の富岡製糸場) 生糸は1930年代まで、ほぼ一貫して日本の輸出総額の20〜30%を占め続けた(群馬県の富岡製糸場)

 前節で戦前日本の経済成長を支えた制度・組織の革新について触れた。その典型的な事例は製糸業に見ることができる。

 2014年、「富岡製糸場と絹産業遺産群」がユネスコ(国連教育科学文化機関)によって世界文化遺産に登録された。登録の理由として、「モデル工場としての富岡製糸場と関連資産は、19世紀末期に養蚕と日本の生糸産業の革新に決定的な役割を果たし、日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となった」ことが挙げられている。実際、製糸業は、日本の工業化を主導した産業の一つであった。

 戦前の日本経済における製糸業の位置は、輸出の面で際だっている。生糸は、世界恐慌とレーヨンをはじめとする化学繊維の発達のために輸出が減少した1930年代まで、ほぼ一貫して日本の輸出総額の20〜30%を占め続けた。

 しかも、日本のもう一つの主要な輸出品であった綿製品が、原料(綿花)のほとんどを輸入に依存していたのに対し、生糸の原料となる繭は国産であったため、外貨収支における製糸業の貢献は特に大きかった。日本の製糸業は、長野県、群馬県、山梨県などに集積した多数の民間製糸工場によって主に担われた。1900年代には、機械を使用する製糸工場が6000〜8000ヵ所操業していた。

 1872年に官営工場として設立された富岡製糸場の役割は、世界の製糸先進国であったフランスの技術を日本に導入し、「モデル工場」としてそれを広く民間に普及させることにあった。富岡を起点とする近代日本の製糸業の発展は、経済史研究の主要なトピックの一つとされ、多くの知見が生み出されてきた。特に強調に値するのは、日本の製糸業の発展が、独自の技術的、組織的、制度的な革新によってもたらされたことである。

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