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学習院大学長が説く「日米開戦」回避の道

 12月8日は日米開戦の日だ。76年前の1941年(昭和16年)、日本軍はハワイ・真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃した。4年後に日本の無条件降伏で終わったこの戦争は、日米の国力の差などから「初めから勝つ見込みのない戦争だった」との結論が出ている。「戦争調査会 幻の政府文書を読み解く」(講談社現代新書)を出版した井上寿一・学習院大学長は「日米戦争は十分回避できた」と説く。無謀な戦争を止められなかったのは、日本のリーダーたちが自分の出身母体の組織利益に、犠牲を強いる決断ができなかったためだとしている。

戦争調査会、「敗戦」への政策当時者をインタビュー

井上寿一・学習院大学長は「無謀な日米戦争は十分回避できた」と説く(同大学長室で) 井上寿一・学習院大学長は「無謀な日米戦争は十分回避できた」と説く(同大学長室で)

 ーー「戦争調査会」は敗戦直後の幣原喜重郎内閣で、戦争の原因を日本人が自主的に調査しようという目的でスタートした国家プロジェクトでした。学識経験者を中心に委員を集め、幣原首相自らが同会の総裁を兼務しました。外交史研究者の評価はどのようなものでしょうか。

 「『戦争調査会』の存在自体は知られていましたが、刊行開始が2015年と遅れ、幻の政府文書扱いでした。40回以上も会議を開いたほか、大臣経験者や軍人、外交官、官僚など政策決定の当事者にインタビューしているのが特徴です。独自の資料収集や現地調査も実施しています」

 「戦後の日本外交史研究は、日米開戦研究史と言っても過言でないくらいに、この分野は充実しています。しかし敗戦直後に日本の進路を決めた当事者自身が何を語ったのか、彼らは何を議論したかを知ることは昭和戦前史研究に新たな視点を与えてくれます。現在の我々が国際情勢を考えるヒントにもつながります」

 --敗軍の将が兵を語る形ですね。幣原首相は「英米協調派」の代表で、軍部によって事実上失脚させられていた人物です。最初から「軍部の暴走が諸悪の根源」という結論ありきの恐れはないですか。

 「幣原は現実主義者でした。敗戦直後は誰でも不戦の誓いを立てます。20年後、30年後に『また戦争しよう』と考えた時に、なぜ日本が負けたかの調査記録があれば歴史の教訓になると考えたのです」

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