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家康も悩んだ「後継者」と「完全引退」

 最も長い現役生活を送った戦国武将は徳川家康(1543~1616)だろう。1555(天文24年)に人質先の今川義元の下で元服して以来、約61年間を第一線で働いた。しかも晩年は平穏な引退を計画しながら後継問題などが絡み、終生現役を余儀なくされた。約260年続く徳川幕府の礎を築いた家康も、最後まで心配事が絶えなかったようだ。いつ完全引退を決断すべきか、家康のケースは現代トップにも何らかの示唆を与えそうだ。

後継者問題で家康が重臣らに相談?

徳川幕府260年の礎を築いた家康も引退のタイミングには悩んだ(静岡市) 徳川幕府260年の礎を築いた家康も引退のタイミングには悩んだ(静岡市)

 関ケ原の合戦(1600年)の後、家康(当時57)がひそかに重臣たちに後継者問題を諮ったという逸話が伝えられている。候補者は次男の結城秀康(26)、三男の徳川秀忠(21)、四男の松平忠吉(20)と3人もそろっていた。側近の本多正信は豊臣秀吉の養子だった秀忠を、井伊直政は関ケ原合戦で奮闘した女婿の忠吉を推した。大本命の秀忠は関ケ原遅参の大ミスが響いていたが譜代の大久保忠隣らが強く推した結果、後継者に決まったという。

 「徳川家康」(ミネルヴァ書房)の笠谷和比古・国際日本文化研究センター名誉教授は「〝後継者重臣会議〟は史実ではないだろう。徳川姓を名乗ることのできた家康の息子は秀忠だけだったから」と指摘する。官位も中納言と家康の内大臣に次いで飛び抜けていた。しかしこうした逸話が残っていること自体、秀忠への継承が必ずしも全員賛成で進められたわけではないことを示唆している。自死させられた長男の信康(1559~79)が存命ならば関ケ原の時点で41歳。天下人の後継者にふさわしい年齢で、家康の引退計画は現実味を帯びてきていたはずだ。

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