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ビール「営業王」 社長たちの戦い 4人の奇しき軌跡

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アサヒ・平野社長「出る杭も高ければ打たれない」

前野 雅弥

 激しい販売競争を演じるビール大手4社。現在の社長たちはいずれも「奇跡の営業マン」と呼んでいい実績をあげてきた。もちろん彼らとて、生まれつき営業の天才だったわけではない。挑戦し、失敗したら、必死に考え、またトライして失敗する。それでもくじけずまた挑戦し、最後は社長にまで駆け上がった。本連載ではそんな4人の「伝説」の一端を紹介する。1回目はアサヒビールの平野伸一社長。(本文敬称略)

発売30周年の「スーパードライ」と平野伸一社長 発売30周年の「スーパードライ」と平野伸一社長

社長になるためアサヒを選びました

 平野が新人研修を経て最初に配属された営業現場は、東京支店西営業所(東京・杉並)だった。担当は東京・世田谷の特約店と酒販店である。「こんにちは。今度、担当になりました平野です」。こう言って得意先を回る。決まって浴びせられる質問がこれだった。

 「なんでアサヒビールになんか入ったんだ?」

 たしかに潰れそうな会社である。ビールは売れていない。それでも「なんでアサヒなんかに」の言葉にはさすがにピクリときた。ついこんな言葉が口をついて出てきた。

 「社長になるために決まっているじゃありませんか」

 言ってしまうと、その言葉に一番驚いたのは当の本人だった。「とっさに吹いてしまった大ぼら」だったが、それにしても「社長になるため」とは......。

 平野が会社に入った1979年。キリンビールのビール系飲料の市場シェアは63.5%に達していた。圧倒的な王者である。でも、「ガリバー企業はなんとなく虫が好かない」と平野は思った。かといってサッポロビールは、関西出身の平野にはなじみが薄い。ではサントリーはというと、同族会社で勝手がわからない。

 「最後に残ったアサヒビールを、なんとなく選んだ」

 それが真相だった。そもそも学生時代は日本拳法の練習に没頭していて、就職先をきちんと考えることもなかった。だが、こまごま説明すると「なんとなく言い訳がましい」。ついつい話をつくってしまった。その気もないのに「社長になるために」と言ってしまった。ところが、結果は吉と出る。

 「よし、気に入った。あんた見どころあるじゃないか」

 取引先は平野の話を聞いてくれるようになった。取引先の酒屋は大小の違いはあれど、みんな一国一城の主。体を張って仕事をしている。1年生の平野が対等に張り合うためには、「こいつ、芯があるな」と思わせなければいけない。「社長になるためなんて気持ちいいじゃないか」。みんなそう感じてくれたのだった。

 当時のアサヒビールはどん底の時代だった。ヒット商品などほとんどなかった。全国シェアは10.6%と惨憺たるものだった。東京・世田谷となるとさらに悲惨で、シェアは10%にも満たなかった。約100店舗あった酒販店のうち、アサヒビールを1本も置いていない店が10店舗もあった。全体の1割である。

 そうなれば社員の士気は地に落ちる。東京・京橋の本社では、昼休みに食事に出かけるのに、女子社員が制服から私服に着替えていた。アサヒビールの社員であることを正々堂々、胸を張って言える雰囲気はなかった。

 だからこそ、「なんでアサヒなんかに」という見下すような言葉に平野は反発したかった。「社長になるため」は、精いっぱいの強がりでもあった。

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