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天下人たちのマネジメント術

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信長、統一への戦いを支えた新金融システム

英傑たちの経済改革(1)

覇権確立と並行して金・銀の流通も拡大

安土城跡。信長が天下人のシンボルとして城の内外に多くの金が使われていたという 安土城跡。信長が天下人のシンボルとして城の内外に多くの金が使われていたという

 江戸時代は、貨幣制度が主として中国の影響を受けたそれまでの制度から日本独自の金融システム「三貨制度」に移行した画期的な時代とされている。三貨制度は金、銀、銭と3種類の国産金属通貨を併用し、相互の比価を政府が法律で定義するシステムだ。その兆しが信長の金融改革にあったわけだ。

 この政策も信長が統一戦争を進めるための重要なポイントだったという。大量の鉄砲や火薬はもちろん、鉄鋼船の大砲などの新兵器や軍事物資を織田軍団は必要としていた。巨額の軍事費を調達する上で、高い決済価値を有する金・銀の普及を信長は求めたのだろう。

 信長自身も金・銀の流通拡大に一役買っていた。69年からの「名物狩り」と呼ぶ茶器の大量購入だ。京都、奈良で有名な茶器や絵画を強制的に購入・収集していった。中国の牧谿(もっけい)や玉澗(ぎょっかん)の絵画や国宝級の茶入れなどが信長の所有となる一方、対価の金・銀が市場に投下される結果となった。茶道を利用した信長の政策は「御茶湯御政道」と呼ばれ、戦国武将らの価値観を大きく変えたとされる。政治的な面ばかりでなく経済的な効果もあったことになる。

 永禄年間の終わりから元亀年間、さらに天正期前半を本多教授は「京都で金・銀の流通が飛躍的に拡大した時期で、信長が多くの敵対勢力に苦しめられながら克服し、京都支配を確立していく時期と重なる」という。朝廷への上納、諸大名への贈与、人々への下賜などに金・銀は利用された。貴族の日記には祈祷(きとう)料や商取引にも金・銀を使用していることが確認できるという。政権が安定した信長の元には各方面から贈り物としての金・銀が集まり、「唐物」など高額な輸入品の購入だけでなく「天下人」の演出にも利用されていく。安土城の金箔瓦や金碧障壁画など金をふんだんに用いられるようになった。

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