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信長、統一への戦いを支えた新金融システム

英傑たちの経済改革(1)

織田家の「銭」の購買力を法で担保

信長の通貨政策は秀吉、家康に継承されていった 信長の通貨政策は秀吉、家康に継承されていった

 さらに同法では「無文銭」と呼ぶ低品質銭の利用も許可した。無文銭は表面の銘文などがない銭貨で東北北部や山陰、九州などで流通していたという。高木准教授は「無文銭の通用を明確に認めるのは日本史上で信長の法令だけ」としている。

 信長の金融改革には、尾張、美濃、伊勢という当時の経済先進地域を地盤にしていた信長自身の資産価値・購買力を畿内でさらに高めていく狙いがあったのだろう。高木准教授は「信長政権が保有していた銭の購買力を法で担保し、蓄積していた銭の流通をはかろうとした」と語る。上洛後の織田軍の将兵や城館建設の労働者らの給与を保証する意図があったとみている。軍兵らが日常の消費物資を購入する際に、商人がそれまでなら受領を拒否するような非基準銭を使えるように配慮したわけだ。足利義昭将軍の御所建設のための労働者の流入で、京都全体の消費者人口は急増していた。非基準銭を流通させることは、首都の秩序を保ち政権維持のためにも重要な施策となっていった。

 米の利用禁止も京都の消費者人口の急増対策だったと高木氏は指摘する。通貨の素材が通貨以外にも使用可能な場合、その方面での需要が増えると通貨としての供給は下押しされる。米の場合、戦争や飢饉(ききん)が起きれば京都住民への米給が不足する恐れがあった。実際、米商人を含む住民が米を供給するように信長に請願したことがあったという。高木准教授は、永禄十二年法には織田軍団が直面する課題を処理するための戦時立法的な意味合いも強いとしている。

 一方、金、銀の通貨価値は金1両=銀7.5両=銭1.5貫と定められた。15世紀までの金属通貨は銭貨(主に青銅銭)だけだった。本多教授は「生糸や薬、茶わんなどの輸入品など高額商品に金銀を使用することを信長が中央政権として初めて認めた」と指摘する。

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