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信長、統一への戦いを支えた新金融システム

英傑たちの経済改革(1)

 金融とITを融合したフィンテックや「ビットコイン」などの仮想通貨が日本でも普及してきた。歴史を遡れば日本の通貨システムの発展に大きな影響を与えたのが戦国の世を制した織田信長だ。1568年(永禄11年)に上洛し、天下統一を目指す信長の戦争を支えたのは、織田軍団の大兵力とその動員能力を維持するための経済力だった。上洛直後に堺など重要な商業都市を掌握した信長は、翌年に新たな通貨体系を導入する金融改革を実施した。「近世の開幕と貨幣統合」(思文閣出版)の高木久史・安田女子大准教授が「近世的な貨幣統合の政策的端緒」と評価する「織田信長永禄十二年法」だ。

上洛翌年に施行した金融改革

織田信長が経済、産業を重視した武将として知られる(岐阜市) 織田信長が経済、産業を重視した武将として知られる(岐阜市)

 1569年に信長が京都を中心に畿内で施行した通貨法令の骨子は①多種類が混在していた銭貨を基準銭と減価銭に区分して比価を明確に規定する②金銀を通貨として用い高額商品の取引に利用する③米の通貨としての利用を禁止する――だった。

 戦国時代は各地に戦国大名が割拠し通貨システムも極めて不安定だった。銭貨は中国から輸入された「明銭」などに加え、需要が増えるに従い国内の私的な製造も関東地方や九州など各地で行われた。商取引の現場では悪質な私鋳銭や粗悪な渡来銭が嫌われ、円滑な経済活動が阻害されたという。さらに同じ明銭でも「洪武通宝」は本州で嫌われたものの九州では好まれ、「永楽通宝」は16世紀前半の畿内で嫌われたが16世紀後半の関東では好まれるといったように地域差や時間差がさまざまだった。室町幕府や各地の戦国大名はたびたび悪銭と良銭の混入比率を規制し、一定の悪銭の流通を禁止するなどの「撰銭(えりぜに)令」を施行していた。

 「天下統一とシルバーラッシュ」(吉川弘文館)の本多博之・広島大教授は「信長の通貨法令はそれまでの幕府法などとは内容が大きく違った」という。10種類の銭貨から「精銭」を基準銭とし、「撰銭」は3区分して各2倍、5倍、10倍の換算値を示しながら「打歩(うちぶ)」(割り増し価格、プレミアム)を付けて「増銭(ましぜに)」として使用できるようにしたからだ。「織田政権はそれまでの取引現場から排除されていた多くの銭貨を呼び戻し商取引の安定をはかった」と本多教授は指摘する。

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