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昔話の戦略思考

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お茶屋における信用の経済効果

梶井厚志 氏

上七軒の繁栄

 遊びの大切さについて、私自身も学問上たいへん有意義な経験をしたことがあるので、ここに書き記しておきたい。本題に入るまでのマクラが長いが、どうかご容赦を。

 京都市内中心部の北西、菅原道真公をまつる北野天満宮のすぐ脇に、上七軒と呼ばれる場所がある。北野天満宮は平安時代後期の創建であるが、以来何度か火災にあっている。室町時代、焼けた北野天満宮を再建するために全国から資材が集められた。そのときに余った材木で、天満宮の東側に七軒の家が建てられたことから、このあたりが上七軒と呼ばれるようになったとされる。

 上七軒は、舞妓や芸妓を呼んで遊ぶ場所、いわゆるお茶屋が集まる花街の一つである。京都の花街といえば、かつて新撰組が京都を闊歩していた時代には島原、現在は祇園が最も有名であろうが、歴史的に見れば上七軒が最も古い。

 聖人道真公をまつり、学問・学業成就の神様として古くから深い信仰を集める北野天満宮と、歓楽街たる花街との取り合わせは妙であるが、花街がここにある理由はこの地が西陣と呼ばれる地域に近接しているところにある。西陣という地名は、室町時代末期に諸国の武将が東西に分かれて京都を主戦場として戦った応仁の乱の際に、西軍の大将格である山名宗全が陣を置いたことに由来する。現在は堀川通りと今出川通りの交差点を少し北側に歩いたところに、山名宗全の屋敷跡を示す碑が立っている。

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