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「無能」ではなかった? 大戦時の東条首相

日本陸軍の研究(上)

制度を乗り越えようとする発想なく

戦略ビジョンが欠如が戦場での犠牲を大きくした(太平洋戦争の激戦地だったペリリュー島) 戦略ビジョンが欠如が戦場での犠牲を大きくした(太平洋戦争の激戦地だったペリリュー島)

 英国の歴史家A・テイラー氏は第2次世界大戦の指導者を描いた著作の中でヒトラー総統(独)、ムッソリーニ総統(伊)、チャーチル首相(英)、ルーズベルト大統領(米)、スターリン首相(旧ソ連)を取り上げているのに対し、日本については「戦争指導者不明」としたという。これら5人の中には東条のような現役のプロ軍人はいない。しかもチャーチルやルーズベルトらがしばしば作戦計画の立案や実施に口を出したのに対し(そのための失敗もあった)、第2次世界大戦のリーダーの中で最も軍事問題に精通していたはずの東条は統帥権の制約から指示することができなかった。

 「統帥権」と、陸海軍大臣は現役の将官でなければならないとする「軍部大臣現役武官制」を利用して、昭和期に陸軍が強大な政治権力を獲得したことはよく知られている。当時の首相は作戦計画を指導できず、事前の説明すら受けられなかった。この制度に陸軍代表であるはずの東条も縛られることになった。東条自身が開戦時の真珠湾攻撃を事前に知り得たのは、兼任していた陸相が大本営の一員であったからだという。それも1週間前に過ぎなかった。「作戦計画の情報はかろうじて知り得ても立案や指導はできなかった」(戸部教授)。

 ただ統帥権だけが理由ではないと戸部教授は続ける。統帥権は、もともとは明治の民権運動などの影響を避けるために作られたもので、戦争指導の指針ではなかったからだ。日清戦争では伊藤博文首相や陸奥宗光外相、日露戦争では桂太郎首相が平気で大本営に列席し、作戦にも口を出した。「明治のリーダーたちは制度成立の過程をよく承知していた」と戸部教授。だから統帥権に拘束されず柔軟に対応できた。一方、「東条には制度を乗り越えようとする発想が生まれなかった」としている。昭和期の軍人は統帥権という制度の枠内で育てられ保障されていた面があり、内面的心理からも難しかったかもしれない。

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