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昔話の戦略思考

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落語「百年目」に見る配分効率性

梶井厚志 氏

 「百年目」というのは、100年という物理的な時間の長さを指すだけではなく、長期間に一度しかおこらないようなめったにない好機という意味を持つ成語でもある。あるいは、100年を人の寿命の限界とみて、人生のおしまいの時、運の尽きなどを意味する。この「百年目」が落ちになる、以下のような古典落語がある。

 大坂の船場にある大店(おおだな)の話。商売繁盛するこの店の旦那は、番頭に店を任せっきりにしている。旦那が堅すぎると評するほど、遊びを知らぬ堅物で通る番頭は、奉公人たちにも実直勤勉を要求する。たとえ余暇であっても、彼らが芸事や茶屋通いなどの遊びに羽を伸ばすのを許さない。万事につけ小言を言い、規律付けしようとする番頭は奉公人たちの嫌われ者だが、旦那の全幅の信頼を得て店を仕切るこの番頭に逆らえる奉公人はいない。

遊びをゆとりと見るか、無駄と見るか

 ところがこの番頭、実は年季の入った遊び上手だ。大川沿いの桜が満開になったある日のこと、日中に店を抜け出し、前もってあつらえておいた屋形船で芸者をあげて桜見物としゃれこむ。夕刻には店に戻らねばならないし、陸(おか)に上がって知人に見られるとことだからと、初めは船の中から静かに桜を眺めていたものの、もちろんそれでは収まらない。そのうちに酒が回って気が大きくなり、芸者たちとともに陸に上がり、桜見物の人たちにまぎれこんで、風雅な芸事などを繰り広げるのである。

 ところが店の旦那も、知り合いと連れだって同じ場所に桜見物に来ていて、たまたま番頭を見つけてしまう。堅物からは想像もつかないこなれた動きを見せ、目隠し芸で芸者たちと遊ぶ番頭を見て、ここで自分と顔を合わせては極まりが悪かろうと、声もかけずに番頭の横を通り過ぎ、その場をそっと立ち去ろうとする。そのような配慮にもかかわらず、酔っているうえに目隠しをしている番頭は、なんと立ち去ろうとする旦那を捕まえてしまうのである。

 目隠しを取って、捕まえた相手が旦那であることを知った番頭は気が動転して、長らくご無沙汰をしておりますと妙な挨拶をする。旦那は連れの芸者衆に、自分の大事な番頭ですから、けがのないように遊ばせてほしい。心得ているとは思うが、夕刻にはそれとわからぬように店に帰してほしいと言い残すと、逃げるように去ってしまう。

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