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昔話の戦略思考

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浦島が竜宮に行く「機会費用」は高い?

梶井厚志 氏

 前回、浦島太郎が子供たちに小銭を渡して亀を解放させたことについて、その亀は救われたかもしれないが、それによって将来より多くの亀が被害にあうかもしれないと書いた。つまり、太郎のしたことが果たして善行だったのかどうかはっきりしないということだった。

豪華な接待は必要なものだったのか

 とはいえ、逃がしてもらった亀の立場からしてみれば、太郎はやはり恩人ではないだろうか。実はこの亀は仲間から聖人と崇められる立派な亀で、大恩は感じつつも同胞を危機にさらした太郎を許すことができない。そこで、表では感謝しているようなふりをして、なんとか復讐せんとたくらみ竜宮に直訴していたといった筋は、サスペンス映画ならば一考に値するが昔話にはまったくなじまない。

 やはり、助けられた亀は素直に感謝すべきだろう。それならば不特定の亀たちに将来訪れる不幸をどのように考えようと、乙姫が太郎に感謝するのも当然であろう。太郎に罰が当たる理由は、容易には見当たらない。

 そこで、自分のしもべの命を救ってくれた恩人とはいえ、それに対する竜宮での歓待が、度が過ぎているように見えることに着目したい。そもそも、亀たちが直接太郎にサービスして恩返しするのではなく、乙姫をはじめ竜宮城に総動員をかけて歓待するというのはやりすぎではないか。

 しかも、昔話では教育上不適切な描写が省略される傾向があることを勘案すれば、太郎が実際に受けたサービスの内容は、亀を助けてもらったお礼としては過剰ともいえるものだったに違いない。身の程をわきまえずいい気になって毎日はしゃぐ太郎に、竜宮の接待役は笑顔で接しながらも苦々しい思いでいたはずである。

 バブルの時代に、大した根拠もなく、ばら色の将来を信じて楽しく踊った私たちに罰があたったのと同様に、受ける筋合いのものではない豪華な接待を、あたかも当然のこととして受けた人が、最後には不幸になるというのであれば話としてそれなりにつじつまが合う。してみると、理屈の通らない都合のよすぎる話に対して、自分の能力や業績を過度に高く評価して自分を納得させ、あまつさえそれにのって自分を見失うようなことを戒めるものだと、浦島太郎を解釈することができそうである。

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