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日本とロシアの関係は「呉越同舟」

藤 和彦 氏

 西ドイツに続いてイタリアも1969年12月に旧ソ連との間で西ドイツと同様の協定を結び、フランスも後に続いた(1971年8月に協定を締結)。このように1970年代から西欧の主要国は旧ソ連の天然ガスに依存する体制ができあがったが、旧ソ連側も欧州向けの天然ガス輸出を拡大するため、西シベリアなどのガス田開発を促進し、新規の幹線パイプラインの整備を精力的に進めたのである。

 旧ソ連側が西ドイツとの関係改善に積極的な態度で応じた背景には中国との対立の影響がある。1969年3月にダマンスキー島の武力衝突によって激しさを増した中国との対立が、旧ソ連から見て地理的に西に位置する潜在的な強国(西ドイツ)へ接近する誘因となったのである。

 ブラント首相の東方政策は、西側3カ国(米英仏)との緊密な意見交換が功を奏し、米国主導のデタント推進という範囲にとどまる限り許容されたとされている。

 西ドイツ国内では「パイプラインが東ドイツ経由で敷設されることから、東ドイツを消極的に容認することになる」として野党であるキリスト教民主同盟(CDU)などが反対したが、ブラント政権が米国政府の意向を重視した(対ソ交渉の進捗状況を米国政府に詳細に報告した)ことが成功の要因として挙げられる。

 1980年代になると東欧よりも西欧への輸出の比重が高くなった。旧ソ連崩壊時にも西欧向けの天然ガスの輸出量は減っていない。政治的な混乱時においても、いや、混乱時であるからこそ、天然ガスの輸出によるハード・カレンシー(国際決済通貨)の獲得が重要だったのである。

 旧ソ連が石油・天然ガスで得た収入は、1980年には147億ドル、獲得したハード・カレンシーの62%に達していた。

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